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言語化と画像化~長岡ゼミでグラレコやってきた

今年で3回目となる法政大学長岡ゼミでのグラレコワークショップ。
長岡先生のキレッキレのゼミ指導も体験できちゃう特典付き。昨日も、わたしの方が勉強になったぞ、ってくらい学び多き時間でした。昨日のゼミは、ゼミ生3人のプレゼン、それを受けてのペチャクチャ(ワールドカフェ)、そしてグラレコ、という仕立て。
昨日がプレゼン初日ということもあって、プレゼンの内容、仕立て、姿勢、準備などに温かな愛ある、そしてスパイシーなフィードバックが繰り広げられておりました。

どうしても言いたいことがたくさん出てきて、そして、“きれいな”“かっこいい”言葉で語りたくなってしまって、盛り込みすぎ作りすぎなプレゼンになりがち。そうすると、一番言いたかったことが薄れてしまったり、まだ自分の中で消化しきれないことは上滑りな表現になってしまう。流暢に話せたか、スライドが上手に作れたか、なんてことはそんなに大きな問題じゃなく、大切なのは「たったひとつの言いたいこと」。その「たったひとつの言いたいこと」があれば、あとはそれに何を付け足していくか?を考えていくだけ。きわめてシンプル。だから難しい。

オーディエンスが話したくなるようなプレゼンなのか?っていうのも至極納得。説得や情報伝達ではなく、あくまでも話題提供、プレゼンを聞いて「それについて話したい!」と思えたら、間違いなくそのプレゼンは素晴らしいものだよね。

そして、オーディエンスはプレゼンする仲間を助ける役割がある、ってこと。
コメントをきちんと出す、それは、批評するのではなく自分の感性で判断したコメントを出すことを意味します。そうやって聞き手と話し手がそれぞれの役割を全うしていくことが「みんなで場をつくる」ことにつながるんだなぁ。もちろんそのときには、聞き手はかくあるべし、というルールや正解はなくて、自分の感性に素直に従うのがいちばんいい。

そんなプレゼンにまつわるあれこれを受けてのグラレコ。

グラレコワークショップも授業も含めると2年間で1000人を超える方にご参加いただいて、試行錯誤、紆余曲折しながら、わたしがお伝えするグラレコってこれよ!が見えてきていました。

「残したいものを楽しく描く」
「正しい記録よりも楽しい記録を」

そう、きちんと正しく記録するとか、絵が上手に描けるとか、人が読んで共有できるとか、そんなことは割とどうでもよくて、この場で感じたこと、体験したことを残したい!というシンプルな動機で十分だと思っている。だから、誰かのためのものではなくて、自分のため。自分が描いて楽しい、読み返して楽しい、そんな記録でいいと思っている。そんな記録がいいと思っている。だから、正解もルールもない。

でも、この正解やルールがないことがどうにも曖昧ですっきりしっくりこないのもまた事実。
コツや書き方を教えてほしいというニーズはたくさんいただくし、どうしたらうまく描けるでしょうか?全部書けない、何を描いて何をそぎ落とすのかの判別が難しい・・・という質問もたくさんいただきます。

上手い下手もルールもないし、自分がこれは残したい!って思うことだけでいいんですよ、とお伝えしても、やっぱりもやもやは残るわけですよ。このジレンマwww

そんなジレンマも抱えながら、長岡ゼミのみなさんとグラレコワークショップをやってきたのですが、いくつか発見、開眼したことがあります。

ひとつは、楽しいってことは集中(没入)してこそ現れる感覚なんだな、ってこと。
「楽しい」っていろんなところで言われていて、楽しく学ぶとか、楽しみましょう!とか、ちょっと安易に「楽しい」って使ってない?楽しむマインド持ってないといけないの?的に、「楽しみましょう」圧がちょっとうざい感じを受けていたのです、ここのところ。これ、あくまでも自分感覚ですがw

昨日のワークショップ、「楽しかった」「時間を忘れた」という感想も聞かれたけど、みんなの顔つきが変わって「楽しい」雰囲気になったのって、グラレコ100本ノックと呼んでいる線を引く、絵を描く練習をしている時からだった。夢中になって線を引く、〇を描く、そして、話を聞きながら一言も聞き洩らさないぞ!と一生懸命聞いて、どうやって描こう、この絵はどう描く?なんてことを頭の中でぐるぐるぐるぐる考えている・・・そんな状態を称して「楽しい」って言っていたんだなー。

「戯れ」と「楽しむ」は違うって長岡先生もツイートされていたけれど、その違いはその場に一生懸命でいるかどうか、集中しているかどうか、ってことでもあるのかもしれない。
安易に容易に「楽しい」ってことを使いすぎていたなーとちょっと反省。集中する、集中できるためにはどうするか?ってことを少しだけ丁寧に考えていこうと思ったよ。

そして、画像化と言語化。
これは長岡先生が最後にまとめられていたことですが、
「言語化」は概念を明確化することであって、どんどんとそぎ落とされてシャープになっていく。
対して「画像化」は曖昧なままでもその場の雰囲気や印象を残すことができる。「言語化」していく段階でそぎ落とされた曖昧さや雰囲気といったものを残すのには画像化=グラフィックが役に立つ。
重要なのは、この2つをうまく使い分けることではない。どっちでもいい。どっちもあり。でもどっちも必要。どの場面で「言語化」するか「画像化」するかを決めるのは自分で、ルールや法則にあてはめないで自分自身でその考えることが大事。

そう。この自分で決めるってことが大事だと思うのですよ。
ルールも正解もないし、正しい記録とは言えないかもしれないけど、自分が一番印象に残ったことを描けばいい、って伝えていたのはそこなんだ!と腑に落ちた。
判断基準は自分自身。もっと言えば自分の感性。自分の感性を通して記録していくことが手描きではできる、ライブでもできる。そう、グラレコがもっとも得意とすることが、そこなんだと思う。

だから、自分が何に一番心を動かされたか、ってことを意識しながら聞いて描くのがいちばん大事だと思うのです。プレゼンにおける「たったひとつの言いたいこと」と一緒だね。

何を取捨選択して描いたらよいのか迷う、って質問に長岡先生はこうも仰っていた。
「そこに描かれていること(あなたが描いたこと)が正解」
つまり、描かなきゃいけないことがある、と思ってしまうことは、すなわち正解や正しい書き方があると思ってしまうってこと。自分の感情が動かされて描いたことが何よりも大事にしたいこと=正解なんじゃないのか?ってこと。

テクニック的なことやコツをお伝えしようと思えばそれはできます。けど、それじゃあ、わたしがやる意味がないし、アナログに手書きでその人のフィルターを通して描く意味がない。
自分が何に心を動かされたか、感動したか、印象に残ったか・・・それを描きたいし、描いてほしい。
今朝の秋風先生も言ってたもん。「オリジナリティとリアリティ。」グラレコも一緒だ。

勝手にもやもやしてたことを、勝手にクリアーにして帰ってきました。
毎年毎年、楽しく豊かな時間をご一緒できて、長岡先生には感謝してもしきれません。
長岡先生、ゼミ生の皆さん、チューターのくりちゃん、本当にありがとうございました!

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