2週間に渡って、大学1年生全員を対象に「図や絵も使って読み返したくなるノートをとろう!」と題した授業を担当してきました。グラレコ講座の授業版です。
総勢500人。いつもグラレコ講座は多くても30人くらい。ワークしている時には手元が見えるし、反応を見ながら時間配分を変えたりしながらできる規模感なんだけど、今回は1回の授業につき150人ですよ

学部再編で新たなカリキュラムとなった商学部1年生全員が対象で、「ノートの取り方」をテーマに2コマを充てるだなんて、かなりなチャレンジと調整があったと思います。わたしにとってもチャレンジだったので、この経験をきちんと振り返っておこうとだらだらと書き記します。

わたしのグラレコはそんなに絵や図は描かないし、目指すのは「残したいものを楽しく描く!」だから、自分のノートがカラフルで楽しくなって、その結果として人の話を聞くのが楽しい!って状態になっていることが何よりだと思っている。これって、ファシグラとかグラレコをがっつりやってる人からすると、「変化を起こさない活動は意味ないじゃん?」って思われても仕方がない。確かに変化を起こすことは大事だし、最終的には変化を起こしたり、課題を解決できてなんぼ、だと思う。けど、小さな第一歩としては、「自分のノートを楽しくとる」でいいと思う。小さく始める、楽しく取り組む…これが長続きする秘訣だよね。

2週に渡っての授業だったので、1週目は「いったい何やるんだ?」「ノートって板書を写すもんじゃないの?」といぶかし気だった学生たちも、2週目になると意外とおもしろがって描いている。最後の15分間スピーチの記録も事実と感情を対比させて記録していたり、早速習った「学校」のアイコン使ったり、表情のイラスト描いたりと、なかなか雄弁な記録になってたんだよね。

1週目が終わったあとに、振り返りのシートを課題として提出してもらったんだけど、
「事実と感情に分けて聞き取るのが難しかった」
「書こうとすると、話に集中できない」「全部書くのはムリ」
という感想が多かった。

ふむー。

学力とか知力の問題でもないし、いわゆる「質問力」とか「意味を捉える力」が足りないというわけではない。もちろん、そういう力は必要だ。けど、その前段階として、「おもしろがって聞く」「興味・関心を持って聞く」ってことが苦手なんじゃないかなー?という印象を持ったわけです。なんていうかねー、感情を動かす、ってことが苦手。苦手というのは乱暴だな。話(特に授業)を聞いて「おもしろい」と思うなんて想定してないって感じ。

確かにー。
わたしだって学生時代は、先生の話がおもしろい!とは思っていなかったもんなー。歴史の裏話的な話はおもしろい!と思ったりはしたけど、そもそも「勉強」は苦しくつらいことであって、楽しいこと、おもしろいことではない、っていうマインドセットだった。(だからといって教育システムが悪いとか、不満だとは思ったことはなくて、自分の成績が悪いから学ぶことが楽しくないだけで、それはさぼってるだけだ、という自覚があった。)

「全部書けない」という感想にも考えさせられた。
いろんなものがITの進歩で簡単に大量に保存できる時代だからこそ、量への安心感もあるんだろうなぁ。
記録って量じゃないと思うんだよね。残しておきたいという気持ちが沸き上がってきてはじめて、記録すればいい、と思っている。
35ミリフィルムの時代は、きっと構図や対象物を吟味して、渾身の一枚をカメラに収めてたんじゃないかなー。そんな感覚。興味を持って、おもしろがって聞くと「これは!」と思うこと、残しておきたい!と思うことが浮かび上がってくるはず。少なくともわたしはそう信じている。
感情を揺さぶられた話を記録する、そのための手助けのツールがグラレコにおける図や絵や色なんだと思ってる。だから無理に絵を描かなくたって、字だけで描いたっていいわけだよね。

自分が学生だった頃、「聞く力」ってあった?聞けてた?聞いてた?
学生時代、速記なるものをやっていたので、音声として聞くってことは鍛えられていたかもしれない。速記って、1分間に230字とか260字とかの速度で読み上げたものを、象形文字みたいな速記文字で書いて、それをその10倍の時間をかけて読めるように文章に書き直す、って仕組み。ちゃんと大会も検定もあって、5分間×260字=1300字の中の誤答の少なさを競う。究極、速記文字を1字も書かなくても、聞いたことをすべて覚えていて文章に書き直しができれば大会では優勝できるわけですよ。
とは言え、「できた!」と手ごたえを感じるときには、読み上げられた文章を音声ではなく意味が捉えられているときだったような気がする。そんな手ごたえを感じられることは、かなり稀有なことではありましたがwww
たぶん、この時期は音声でしか「聞く」を認識できていなかったんだろうな。意味を捉えて「へぇー」とか「ほほぉー」とか、おもしろがって聞けるようになったのはオトナになってからな気がする。

それってなんでだ?
いろんな経験、体験をしてきて、聞いた話を自分の体験や価値観に照らし合わせて共感したり、違和感を感じたりできるようになった、っていうのも大きいし、どんな捉え方をしたっていいんだ、ってことがわかったっていうのも大きいと思う。学生時代は、どうしたって評価がつきまといます。正しい答えを学生も先生も求めてしまう。そんなコチコチのマインドセットだったら「おもしろがって聞く」ってことはできにくいよね。そんな教育システムはけしからん!なんて思わずに、いろんな経験していけば、きっと「おもしろがって聞く」ようになるから大丈夫。
こんな変わった(!)授業を提供してくれる大学や、興味深い話をしてくださる先生がいる(最後の15分間スピーチは日替わりでこれまでのキャリアを語っていただきました。)ってことは幸せなことなのよ。そんな環境で過ごしていれば、きっと「おもしろがって聞く」人になるはず。

全員分の振り返りシートに目を通して、「意外とおもしろかった」「板書を写すだけじゃなくて、自分が考えたこと、先生が言ったことを書こうと思う」「絵があるだけで見返したくなる」という感想にわたしも勇気と可能性をいただきました。一人でも多くの学生が楽しくノートをとるようになったら嬉しいなぁ。

正しい記録よりも楽しい記録を。がんばれ、若人!

わたしにとっても学び多き貴重な2週間でした。機会を授けてくださった聞間先生はじめ商学部の先生方、毎日、スムーズな駐車場誘導をしてくれた守衛さんたち、そして学生の皆さんに力いっぱいの感謝を。